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  1. 自分を磨き、道を切り拓く
2021/12/01

自分を磨き、道を切り拓く

 

11月で決算が終わりました

 

前期もクライアントの皆様のお陰で、

過去最高売上の33億を突破しました

 

ありがとうございます

 

経常利益に関しては4%程

先行投資とコストがかかった年だったなと

 

これから4年で年商100億円

経常利益は6%超を必達目標にしてます

 

僕が20歳のとき、母親からお金を借りて、父親と2人で3坪のケバブ屋から始まったガーネット

 

その最初のお店のオープン前日に、

父親は他界し、その影響は大きく、家族は一家離散し、わずか4ヶ月でガーネット初の事業は幕を閉じました

 

お金もスキルもない20歳の僕は、

「必ずガーネットを再起させて、全部取り戻す」と決め、

まずは社会を知ろうとサラリーマンになり

 

京都と大阪のある不動産会社様に拾ってもらい

 

26歳でガーネットを休眠状態から戻し、再度起業しました

 

 

そこから、1年目5000万円ほどだった会社は、3年で15億円を超え

 

インバウンドの後押しもあり、ホテル・ゲストハウスから飲食、美容やアパレル業まで広げて

 

4年目にはスタッフ250名、年商25億円を達成しました

 

「京都のホテル開発・運営でもっと上を目指す」と決め、

 

ガーネット売り上げ全体の20億円ほどの売上構成していたホテル事業を、京都最大手の会社様へM&A、

 

そして、その子会社の社長に就任

 

しかし、その子会社から出ないと行けない事になりました

 

残ったのは年商20億円を失ったガーネット

 

事業は不動産業と飲食

 

周りは

 

「ガーネットはバイアウトして、お金だけもらって売り逃げたらしい」

 

「もうガーネットには何も残ってないよね」

 

「投資家として、リタイアしてゆっくりしてるらしい」

 

「自分だけ儲かっていろんなものに散財してるらしい」

 

会ったことも、話したこともない人からも有りもしないことを言われ

 

京都の不動産業界では、お酒のつまみとして話のネタになった

 

そして何人かのスタッフは去っていった

 

従業員も肩身が狭い時期だったと思う、当時のスタッフには申し訳なく思う

 

でもみんなが知らないことがあった

 

バイアウトして得た8億円近くのお金は、当日に全てガーネットへ全額投資していた

 

数億円手に入れて購入したのは、時計の1つだけだった

 

悔しすぎて、その時計も換金してガーネットに投資した

 

全部をガーネットの未来に投資した

 

5年目は本業の不動業を何とこなし、飲食部門と合わせて年商15億円

 

頑張った方ではあるが、売り上げが10億円も下がり、営業利益が急に下がったことで

 

益々、見られ方は厳しくなった

 

「何か事業を大きくしなければいけない」

 

「このままでは終われない」

 

と人材紹介や仮想通貨や、手当たり次第に事業を広げていた

 

その最中、創業当初からのNo.2が会社を去ることに

 

そこでハッとした

 

ケバブの時から、何も失ったものを拾えてないじゃないかと

 

何も学んでないじゃないかと

 

「何のために事業をするのか」

 

周りの見られ方のために経営してるのか?

 

そんな小さなことじゃないだろう

 

急遽スタッフを集めて

 

「全ての事業をストップし不動産業一本に集中する」

 

「例えまた1人になろうと、1から立ち上げる」

 

泣くスタッフもいれば、硬直するスタッフ

 

それでも「自分が培った不動産業であれば、経営者として全責任を負える」

 

「スタッフの責任も負えないのに、見られ方のために事業拡大はしない」

 

「今度こそはスタッフを守り終身雇用する会社をつくる」と決めた

 

そして飲食事業をバイアウトし、

不動産業のみが残った

 

残ったのは10名ほど

 

ピーク時の4%

 

経営者として覚悟を決め、人格も変えて、起業当初からついてきてくれたメンバーに対しても、全てを変えた

 

だからそれからも去っていくスタッフがいた

 

バイアウトから2年

 

創業メンバーはほぼいなく、その代わりに新しい役員が頭角を表し

 

スタッフは本当に優秀なスタッフに育ち集まった

 

その従業員以外に育っていたものがあった

 

毎晩「悔しくても、絶対に俺ならできる」と言い聞かせ

 

「今度は時流に流されない本当に誇れる良い商品を創ろう」

 

と全額投資したデベロップ事業でのマンションが複数竣工し

 

投資していた不動産開発事業が花開き、それが瞬く間に売れていった

 

それと同時に京都ではホテルバブルが崩壊

 

その1年後

 

飲食業界にはコロナが猛威を奮った

 

そんな中でも収益不動産に集中していたガーネットは売り上げを伸ばし、

 

事業バイアウトから2年目には、過去最高売上の25億円を超えた

 

最近では

 

「次は何されるんですか?」

 

「バイアウト流石のタイミングでしたね」

 

「やはり運持ってますね、応援してます」

 

人の移り変わりは早い

 

それを言われるたびに、

 

「浮かれるな気にするな今度は現実的に、固く固く」

 

と考え目標設定を

 

「京都デベロッパーとして100億企業」

 

固く固く現実的な伸び率の数字を計算して、計算して目標設定をした

 

「中野くんは社長継続してもらい、30億円近くでガーネットを買いたい」との声もあった

 

この経営方針が間違ってなかったんだなと喜ぶと同時に

 

ずっとモヤモヤした何かがあった

 

過去の売り上げを超え、

事業の成熟も見え、

なんで守りの姿勢に入ってるんだと

 

その姿勢でなぜ

「俺はスマートな経営者で、スマートな経営方法じゃないか」と賢ぶってるんだと

 

ずっとそのモヤモヤが続く中で

 

ある先輩経営者に言われた

 

「俺は拓磨には、中野拓磨の人生挑戦しきって欲しい。たかが数十億円で自分の価値を決めちゃ意味ないでしょ。そんなお金価値ないよ。自分の人生燃え切って経営者でしょ。」

 

 

ハッとさせられた

 

たった数億円の資産で「得たものを失いたくない」と守りに入り

 

たった数十億円の誘いで「これでもう安心」と自己満足していた

 

つくづく俺は何も成長してないなと

 

母親から借りて設立されたガーネットの株主は、当初から亡くなった父親名義でも母親名義でもなく、

 

全株が20歳の自分の名前だった

 

当時の自分はその意味を全然分かってなかったけど

 

今では、それは母親からのメッセージでもあり、父親からの想いでもあったのだと思う

 

再度、数十億円キャッシュインするためにガーネットに全額投資したんじゃない

 

「ガーネットなんて何も残ってない」

 

と言われた時に

「この人は何を言ってるんだ、俺がいるじゃないか、なら全額ガーネットにベットしてやってやる」と決め

 

自分の人生を賭けた目標が

「確実に目指せる100億企業」では、

自分の人生にもっと大きな可能性を信じてくれた方々に失礼だと

 

そして、色んな人から繋いで生まれてきた自分の命に失礼だなと

 

「100億円企業」「数十億円キャッシュイン」

 

それも素晴らしい目標かもしれないけれど、もっとできることや恩返しできることがある

 

ガーネットにも俺にも、もっともっと可能性がある

 

自分で自分の人生の可能性の限界を作ってはいけない

 

そして、覚悟を持ってある決意を固めました

 

12月中旬に宣言します

 

別に宣言しなくてもいいのですが、退路断ちたいので

 

たくさんの方にもらった命と支えてもらって今があり

 

その中野拓磨の人生と名前に恥じぬような生き方をします