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  1. 成人式と作業服
2019/01/14

成人式と作業服

今日は20歳の方たちが待ちに待った成人の日です^^

 

なんと成人式で一番ド派手で有名な北九州の成人式はレインボーマンというのが登場したそう。

髪型と袴とそしてLEDのレインボー照明。笑

 

僕の亡くなった親父は北九州出身でしたがそんな面影はなかったけど。笑

 

 

時代ですかね。笑

時代といえば僕らの成人式は特にド派手な格好もなく終わりました。

 

その時の僕はまだ東京にいて。

東京でアパレルのアルバイトをしながら、個人事業主としてイベント企画を行っておりました。

 

今考えると、イベント企画という名の起業家ごっこだと言えますが。笑

 

ただ、何も持たない自分が、何者かになりたくて。

でも田舎者の僕が大都会東京で人脈なし学歴なし、そしてお金なしなわけです。

 

タワーマンションを見ながら「こんなところに住む人たちはどんな人なんだろう。」とか。

ベンツを見ては「かっこいいなぁ、あんなの乗りたいなぁ。」とか。

 

何とかこの「格差社会」を超える手段はないか?と模索していた日々でした。

 

アパレルをしながらイベント企画のインビテーションを「mixi」いうSNSでいろんな人にメッセージを送り続け、

タワーマンションの来客室用を借りてイベントを打ち。

 

30名-50名ほどきたのでしょうか?

 

慣れないスーツをきて、月に4回必死にやって売上は何万円あがっても手元には何千円くらいしか残らない。

 

自分を高みにもっていこうとタワーマンションを借りて。

でも小さい1Kな訳です笑

 

芸人みたいな感じで、身分不相応なマンションに住み。

 

アパレルの給与の半分以上を費やす日々。笑

 

アパレルのお店に僕の噂を聞きつけた銀座の有名なホストクラブの会長が来て、

僕に会うたびに毎日着ないのに服を大量に買って帰ってくれる。

 

その度に「お酒も飲まなくてもいい。君なら時給3万円あげるから来なよ。」と誘われる日々。

 

北九州の親父の教えで「男は女性を守り養う生き物」と教えられていた僕は断り。

 

でも毎日金欠状態で母親に相談。

「俺こんな条件で誘われてるんやけど。」

 

すると母親は「だめよ!男はそんなことしたら!」

 

そりゃそうだ。

 

母親「ちなみに時給いくらなの?」

 

僕「3万円らしい」

 

母親「いいじゃない!そういう世界も見てきなさい!!」

 

今思うと冗談だったのか、本気だったのか笑

 

でもプライドが高く、女性からお金をもらうということが納得できない僕は、

結局アパレルとイベント業だけの毎日。

 

そして、タワーマンションという名の1ルームに見栄という名のお金を費やし。

生活はといえば、牛丼➡カレー➡シチューの100円レトルトを食べる日々。

 

でもプライドを捨てて目先のお金に行くなら、そんな生活でいいと思えた。

 

そんな僕を心配して母親が仕送りをしてくれてた。

 

ごはんやそしてお金など。

 

そんな何者でもなく、何かになりたい必死な、そして親不孝な20歳でした。

 

でも、今考えるとその時目先のお金に進まなくてよかった。

「男としてのプライド」を捨てなくてよかった。

 

 

そして、成人式。

滋賀県に帰り「垢ぬけた変な意味で東京に染まった僕」。

 

その時の僕は「東京から地元に帰る。」ということが「敗北」を意味していた。

 

地元の子たちは大学生活まっしぐら。

 

充実して、輝いて見えた。

 

僕は遅れているような気がしていて、

 

そんな僕はというと東京で、「何かになりたい」と模索中で、でも何もつかめなくて。

だから東京からは離れられなくて。

 

東京に行けば何かになれると考えていたんですね。

 

そんな中、母親から連絡が。

「家の仕事を手伝ってほしい。」

 

僕は「まだ帰れない。」と。

 

母親は何も言わずに「わかったよ!」と元気な声で。

 

 

それが引っ掛かり、毎日考える。

 

「東京にいる意味は?」

 

そこで僕が信頼する先輩に電話。

そこで言われた一言を今でも覚えてます。

 

「拓磨、成功できるやつはどこにいても成功するよ。」

 

 

その一言で僕は「東京に白旗を振る」決心がついた。

 

「この勝負負けました!」

 

そして、東京を背に滋賀県へ。

 

 

その頃の母親は会社を立ち上げたばかり、僕は社会も全く知らなくて何も考えていないガキで。

小さい会社なりでも「社長」という名になった母親はお金を持っていると思っていた。

 

あとで知ったことは、僕の「見栄」という名の仕送りのために、母親が質素な食事をしていたこと。

母親も格差社会の世界で、貧乏な生活から抜け出すために長い年月をかけ独立をして、

日々会社の経費や売り上げに奮闘していたこと。

 

そんなお金をもらっていたということ。

 

そして、その状況の本当の意味を知ったのは、僕が独立して経営者になり、やっとわかったということ。

 

北九州のリーゼントのレインボーマンや、金髪の子がインタビューで

「母親にマッサージチェアを買ってあげたいんすよ」と言った。

 

敵わないなぁ。すごいな。

 

東京から帰ってきた、敗北した僕は滋賀県に帰り、泥だらけの作業服で滋賀県を回る。

 

アパレルとは真逆。

コンクリートだらけの東京。週末はクラブ。

 

丁度この時期の滋賀県の現場は雪だらけ。週末は軽トラで現場回り。

 

タワーマンションから、2階建てのハイツ。

 

昼前の11時出勤から早朝5時半起き。

 

作業服を着て仕事から帰ってきたら、作業服が嫌で嫌で何もなくてもすぐに私服に着替える日々。笑

 

ふつふつと色々燃えてきて。

ずっと自分に言い聞かす。

 

「成功できるやつはどこでも、どんな状況でも成功する。」

 

そして、また作業服と軽トラで現場回り。

 

また、家に帰宅して作業服から私服に着替える度に鏡ごしに

 

「成功できるやつは、、、」と繰り返す日々。

 

それから10年経って今があります。

 

やっと成人を迎えれるような気分。

 

東京さん、再戦の準備できましたよ。